帰国するたびに苦しくなるのは、なぜ?
- Yuko Hanakawa
- 7月27日
- 読了時間: 4分

帰る前は、あんなに楽しみにしていたはずなのです。
会いたい人がいて、食べたいものがあって、懐かしい景色が待っている。スーツケースに詰めるお土産を選びながら、胸がふくらむ。ところが、着いて数日もすると、説明のつかない重たさが体に降りてきます。理由もなくイライラしたり、なぜか早く自分の家(=海外の生活)に戻りたくなったり。そして、そう感じてしまう自分に、静かに罪悪感を覚える――。
もしこれに心当たりがあるなら、まずお伝えしたいことがあります。それは、あなたが冷たくなったからでも、日本を嫌いになったからでも、「向こうの人間」になってしまったからでもありません。
「帰る」という言葉が、もう単純ではなくなっている
海外で数年、あるいは十数年と暮らすうちに、私たちの中にはもう一人の自分が育ちます。別の言語で考え、別のリズムで働き、別のやり方で人と距離をとる自分。その自分は、日本を離れた土地で、時間をかけて手に入れたものです。
やっかいなのは、帰国すると、その育ったばかりの自分に居場所がないように感じられることです。かつての家族の中での役割――「しっかり者の長女」「手のかからない子」「波風を立てない人」――が、玄関をくぐった瞬間に、そっと肩に戻ってくる。頭では「もう昔の自分ではない」とわかっていても、体のほうが先に、古い姿勢を思い出してしまうのです。
食卓で感じるあの胸のつかえや、実家で眠れない夜は、あなたの欠陥ではありません。二つの自分が、同じ部屋で折り合いをつけようとしているサインなのです。
どちらにも「完全には」属していないという感覚
海外に長く暮らす人の多くが、静かに抱えているものがあります。それは、日本にいれば「外国かぶれ」に見え、海外にいれば「やっぱり日本人」と括られる――どちらの世界にも片足ずつしか置けていないような感覚です。
これは、あなたの努力が足りないからではありません。二つの文化を生きる人が、ほとんど必ず通る道です。そしてこの「あいだ」にいる感覚には、実は小さな喪失(グリーフ)が含まれています。どちらか一方に、まるごと安心して溶け込める場所を、私たちはある意味で手放してきたのです。名前のつかないこの寂しさが、帰国という節目に、ふっと表に出てくる。それが、あの重たさの正体であることが少なくありません。
体は、いつもあなたに何かを伝えている
私が大切にしている心理療法(AEDP)では、胸の締めつけ、喉のつまり、肩の重さといった身体の感覚を「問題」ではなく「情報」として扱います。
実家の食卓で息が浅くなるとき、体は「ここでは昔の役を演じなければ」と身構えているのかもしれません。空港で急にほっとするとき、体は「ようやく“今の私”に戻れる」と教えてくれているのかもしれません。どちらの感覚も正しく、どちらも大切にされていいのです。そのどちらかを消そうとする必要はありません。
一つを選ばなくていい
二つの文化を生きることは、「本当の自分はどっちか」を決める作業ではありません。両方が、まぎれもなくあなたです。日本語でしか泣けない部分も、海外での暮らしの中で初めて言葉にできた願いも、どちらも本物です。
苦しくなるのは、あなたが引き裂かれているからではなく、あなたの中にそれだけ豊かな二つの世界があるからです。その二つを、無理に一つへ畳まずに、同じ胸の中に置いておける
――そう感じられるようになると、帰国はずいぶんと楽になっていきます。
もし、この感覚を誰かと日本語で話してみたくなったら
私は、ニューヨークからオンラインで、日本語と英語のセラピーを提供している臨床心理士です。私自身も、二つの文化のあいだで暮らしてきました。「どちらにも完全には属せない」あの感覚を、専門用語ではなく、同じ景色を知っている者としてお聴きすることができます。
現在、私のスケジュールは定員に達していますが、無料の20分コンサルテーション(Zoom)は受け付けています。まずお会いして、お互いに「合いそうか」を確かめ、良いご縁だと感じられたらウェイティングリストにお入りいただけます。空きが出た時点で、改めての面談なしに、すぐにセラピーを始められます。
ニューヨーク州にお住まいで、二つの文化を生きるあなたへ。あなたの「あいだ」の感覚は、なおすべき問題ではなく、あなたの物語の一部です。
花川ゆう子, Ph.D.

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